三隅 良平

若い人はどんどん失敗して、年長者に迷惑をかけて下さい。

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三隅 良平


防災科学技術研究所
水・土砂防災研究部門
総括主任研究員

Q. 学部・大学院での専門

気象学(メソ気象)/ 博士(理学・名古屋大学)

Q. 過去の研究履歴(略歴など)

気象大学校を卒業後、名古屋大学大学院を経て、防災科学技術研究所に入所しました。

Q. 現在の専門分野(仕事の内容)

「応用研究」と「基礎研究」の二刀流で仕事をしています。「応用研究」としては、気象災害が起こったときに現地調査を行い、被害軽減に必要な科学技術のニーズを拾い出し、それを新しい研究テーマとして立案するような仕事をしています。「基礎研究」としては、雲物理モデルの高度化を目標に、東京スカイツリーなども利用して、エアロゾルや雲粒、降雪粒子などの観測を行っています。

Q. この分野に入ったきっかけ

子供のころから宇宙が好きで、理論物理学者に憧れていました。ところが高校入学後、成績が急降下し、特に物理は赤点の連続だったので、いさぎよく科学者になることをあきらめ、技術系の公務員を目指して気象大学校に入学しました。大学4年のとき、熱心に大学院進学を勧めてくれる人がいて、「もう一度、子供の頃の夢だった科学者にチャレンジしてみよう」と思い直し、名古屋大学大学院に進学しました。

Q. 現在の研究(仕事)の魅力やおもしろさ

初めて研究に充実感を感じたのは、40歳を過ぎて、降雪粒子の観測を始めてからです。研究対象である雪結晶を直接手に取り、顕微鏡で観察することで、自然にはたくさんの未解明なことがあることを肌で感じることができました。例えば現在の気象のモデルでは、雪結晶の複雑な形状が表現できませんし、落下の過程でどのようにして雪結晶が絡み合うのかも表現できません。「雪には研究のフロンティアがあふれている」ことを実感しています。

Q. これまで研究(仕事)をしていて辛かったこと(解決策なども)

【その1】大学院入学後、7年間にわたって1本の論文も出せなかったこと
23歳から29歳まで、一生懸命研究に打ち込んできたつもりでしたが、その間、学術誌に1本の論文も載せることができませんでした。自分の実績がゼロだと思うと情けない気持ちでいっぱいで、精神的にかなり参っていました。定期的に送られてくる気象集誌に、自分より若い(学年が下の)人の論文が掲載されているのを見るたびに、胸を刺されるような焦燥感を覚えたものです。当時の自分には論文を仕上げる技量が不足しており、それを身につけるのに多くの時間を要しました。「査読者の修正意見は、明らかに間違っていない限り取り入れるべきである」ことを実践するようになって、少しずつ論文が載るようになりました。
【その2】国際学会での失態
ある国際学会で口頭発表したときのこと。会場からの質問に答えたところ、自分の回答が的外れだったらしく、質問者に「両手を広げて首をかしげるポーズ」をされて深く傷つきました。さらに座長から「頑張れ!」と励まされ、あまりの情けなさにその場から消えてしまいたい気持ちになりました。すべては自分の英語力の無さに原因があると思い、帰国後、恥も外聞も捨てて町の英会話学校に通いました。8年近く通い、合計100万円くらい投資したでしょうか。相変わらず英語は苦手ですが、少しはましになったかと思います。同じ英会話学校には有名な研究者も通っていて、他の研究者も見えないところで努力していることを知りました。

Q. 研究(仕事)以外の楽しみや趣味

月面の観察。月面には38億年前の地形がそのまま残されており、望遠鏡で月面を凝視することで、太古の世界にトリップすることができます。

Q. 進路選択を控えた大学生、大学院生へのメッセージ

指導教員から叱られたり、厳しく指導されたりして落ち込んでいる大学院生の人もいると思います。でも、失敗しない人間はいません。失敗を許さないとすれば、その人の心が狭いからです。若い人はどんどん失敗して、年長者に迷惑をかけるようにして下さい。

Q. 民間経験・海外経験

科学技術庁長期在外研究員として、イギリスのCentre for Ecology and Hydrology(CEH)に1年滞在しました。イギリス人の仕事ぶりは、日本人の私から見ると誠に奇妙でした。朝9時頃出勤し、10時から30分のティータイム、12時から1時間のランチ、15時から2回目のティータイム、17時には帰宅。いったいいつ仕事をしているのか、とても不思議でした。ティータイムの話題も「ウイークエンドに何をするか(したか)」が中心で、仕事の話は一切出ません。ウイークエンドが生活の軸になっていて、ウイークデイは週末の遊びに向けて、体調を整えているかのようでした。このようなスタイルにもかかわらず、CEHからは毎年たくさんの論文が出ています。